【波動エネルギーを 心身の健康と運勢に生かす】SE研究所  穂苅秀郎

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「諦める」ことで自分の本質を取り戻す。仏教の真理「あきらめ」。

今回のWiLLのテーマは、「諦める」です。
ちょっと、力が抜けそうな言葉ですね。人生、諦めが肝心とか、昔何かで聞いたような気がしますが・・・。
一般的には、何かあって限界を感じたとき等に諦めという心境に至るように思います。

言葉としては、どちらかと言えば否定的な意味合いが強いようです。
念のため、辞書でも意味を調べてみました。

確かに「諦める」というのは、先に書いたような意味合いがあります。
しかし、「諦」にしたら、まるで意味が違うことが分かりました。

この言葉自体には、様々な観察した事柄をまとめあげて真相をはっきりさせる、という意味があるそうです。
さらに、「諦」は仏教の言葉にもあるのだそうです。
それには、「真実」「真理」「悟り」という意味があるとか。
全く真逆な意味があるということには、驚かされます。

しかも「あきらめ」こそ、何時どんなことが起きても、心が苦しまず、穏やかにいられる境地(悟り)に至るために大切なことだとしているのだそうです。
人生上の苦しいこと、嫌なこと、思い通りにならないこと等、人生は苦の連続かもしれません。
どうやらその多くの部分は、自分の都合による思い方から生じている様です。

もちろん環境の影響もあり、自分だけではどうしようもないこともあるでしょう。
しかし、自分の都合で本来なら思わなくてよいことを思うことで、心に重荷を背負ってしまったり、心の中に葛藤を作ってしまったりすることもあるのではないかと思います。

より高い収入を得たいという願望、欲しいものがあるけれども手に入らないもどかしさ、自分の能力を過信したり、過大評価する中で、自分の能力とは不釣り合いでも、願望だけは少しでも良い学校に入りたい、良い就職をしたい等という思いもあると思います。
それは、我欲につながっているのではないかと思います。

良い欲は、向上心につながるから良いと思います。
しかし、反面自分の都合や利益だけを考える欲は、決して人を幸福にしません。
また自分をも不幸にしてしまいます。

これらを、仏教でいう「締」の観点でみたらどうなるでしょうか。
余計な欲を諦める。
自分に不釣り合いな欲や願望を諦める。

言うなれば、それらに翻弄される自分の姿があったとしたらどうでしょうか。
次から次と、目新しいものが目に入り、その現れるものを欲しいと思い続けていたとしたら、結果として自分そのものではなく、表面の事象に心が奪われてしまい、ややもすれば、自分という魂の存在そのものを見失ってしまいそうです。

自分自身を見失うということは、本質的な部分での自分の生き方が分からなくなってしまうことにつながります。
言い換えると、物や体裁に心が奪われるということは、それらの事に執着心が出てきてしまう。
その思いにとらわれてしまうと、人生が翻弄されてしまう。

しかし、それらに振り回されそうな自分の姿に気がつき、自分自身の本質を取り戻そうと思った時には、どうすればよいでしょう。

一時、「断捨離」などの言葉が流行りました。
今身の回りにある、不必要な物、過剰な物、またいらない情報は、持ち歩いたり、目の前に置いておくのではなく、手放す気持ちと行動力が必要になってくると思います。

その時の境地、状態は、一種の諦めとなるのではないでしょうか。
諦めの境地というのかもしれません。

物事の壁にぶつかったり、失敗したときは、諦めの気持ちになることも多いですが、自分から必要ない物を手放すことで、身を軽くし、心をも軽くすることが出来るのであれば、それは諦めから始まる精神的な清々しさが、味わえるかもしれません。

身が軽くなれば、自然と外側に心が向いていた状態から、自分という内面の心を見つめられるようになっていくと思います。
そして、心の中を見つめる事を通じての、精神性の向上が得られるのでしたら、「締」の言葉通り、それは真理の追求であり、やがては悟りの境地に到達するのではないでしょうか。

今のご時世で、悟りという言葉も、日常の中ではなかなか馴染まないと思います。
しかし、いつの時代になっても、物を求めるなとは言いませんが、それと同等か、それ以上に自分自身の心を見つめることで得られる精神の高揚があれば、そちらの方が人として立派になっていくのではないかと思います。

今回のテーマから、ちょっと見方を変えたら、こんなにも深い意味があることに驚いた次第です。
日本語の多くには、よくよく見ていくと、精神を向上させるためのものや、真理や法則的なものも現されているものが結構あるようです。

一見、単純な言葉や、否定的な意味合いを感じされる言葉であっても調べてみたら、真逆な意味が隠されていたり、生きていくための指針を文字からいただいたりしますので、言葉とはすごいものだな、と素直に思える自分になってきたようです。


SE研究所  穂苅秀郎
1957年松本市生まれ、長野市在住。幼少より目に見えない世界、不思議な世界に興味があり、やがて高橋信次氏の著書に出会い、あるべき人間の姿の真髄と、目に見えない世界を読み解く世界に触れて大きな衝撃を受ける。以来、心の正しさと、波動を高める探求を続ける中でダウジングによる波動測定、波動改善技術を確立し、2005年にSE研究所を設立、現在に至る。上越を始め長野、東京、全国各地で「心と波動の勉強会」を開講。また個人相談も行い、多くの人々を悩みの解決へと導く。穏やかで愛情溢れる波動測定、改善技術には定評がある。