謎の少年

WiLL編集長のウィルさんは、今日もぼんやりと午後のひと時を楽しんでいた。

Will編集室のウィルさん

あぁ、平和だなぁ~

などと、ウィルさんは心の中で思っているのかもしれない。平和はステキなことだけど、緊張感がなくて眠そうだ。

その時、誰かがドアをノックして、編集室に入ってきた。

謎の少年

どことなくみすぼらしい、バックパックと寝袋を背負った貧乏旅行者のようだけど、なかなかの美形だ。

フール
 

こんにちは

ウィルさん
ウィルさん

はい、こんにちは

女の子が身を守るために男装しているのかな?それとも男の子がヒッチハイクが有利になるように女の子っぽくしているのかな?

などと、ウィルさんは心の中でよけいなことを考えたかもしれない。性別も不明だが、国籍も年齢も不明だ。日本語のあいさつは上手だけど、日本人ではなさそうだし、若そうに見えるけど物おじしたところがない。

フール
 

ちょっとお尋ねします。ここにシュミセンの入り口があると思うのですが?

ウィルさん
ウィルさん

はい?シュミセンですか?

フール
 

はい、日本の国ではシュミセンと言うのだそうです。

ウィルさん
ウィルさん

須弥山(シュミセン)・・・あぁそうか、妙高山(みょうこうさん)のことですね。まぁ、そんな風にいう人もたまにはいるみたいですけどね。それは、あそこに見える山ですが、ここは登山口ではないですよ?電車で関山(せきやま)駅まで行ってから登山口を尋ねてみてくださいね。

と、ウィルさんは窓の外に見える遠くの山を指さして、こんな街の真ん中で登山口を訪ねる奇想天外な訪問者をいぶかった。

ちょっと説明しておこう。『妙高山(みょうこうさん)』は新潟県南部にそびえる山で、深田久弥の『日本百名山』にも選定されている。
『妙高』とは、仏教聖地の[sumeru]が中華のことばに意訳されたもので、その音訳が『須弥』。仏教用語として日本ではこの妙に高い山を『シュミセン』と発音している。
実際には妙に高くもない辺境の山が、なぜその名を持つかは不明だけど、かつて霊山として信仰を集めていたのは確からしい。明治政府の政策によって霊山としての痕跡は消されてしまっているが、登山を楽しむファンは意外と多い。マリアナ諸島まで続く富士火山帯最北部の火山だ。

フール
 

いや、そういう登山を楽しむ山じゃなくてね、くびきには忉利天(とうりてん)の入り口があるらしいんだよ。それがここだと聞いて来てみたんだ。

ウィルさん
ウィルさん

何ですか?仏教の話ですか?とうりてん?くびき?

周辺にはお寺もないのだし、現代人のウィルさんには、この唐突に投げかけられた信仰世界の話がまったくわからなかった。

フール
 

おねえさんには、わからないですか?

ウィルさん
ウィルさん

ええ、さっぱりわかりません。

忉利天(とうりてん)』というのは、『須弥山(しゅみせん)』の頂上にあるという帝釈天(たいしゃくてん)の住む聖地だ。帝釈天というのはインドラというインドの神さまのこと。つまり、須弥山というのは仏教というよりも、様々に習合したインド思想の聖地であるのだが、今時の日本人はイベントのからまない宗教の話などはめったにしないから、ウィルさんには何のことやらさっぱりわからないという風だ。
そして『くびき』というのは、南越後を指す古い名称。日本統一後の律令制度下で、郡が置かれた時からの郡名であるのだが、平成の大合併以後はすっかり忘れ去られた名前になっている。
かつてこの地は蝦夷との前線基地だったし、俘囚(ふしゅう)の痕跡の多いことからも『くびき』という名称が『蹂躙の地』を意味するのは明白だ。『タタールのくびき』のごとき異民族による重圧が、この地を襲ったことが推測できる。

ウィルさんの編集室は、そういう古代日本史の闇の一端が隠された地域にあるのだった。

その『くびき郡』は西の北アルプスと東のくびき丘陵に挟まれた『フォッサマグナ』と呼ばれる中央地溝帯の北部エリアにある。石器文明において黒曜石やひすいの流通によって繁栄していた場所として知られる。妙高山はその真ん中を走る火山フロントの北端だ。
このシンボリックな火山は『くびき郡』の南端ど真ん中に位置するため、『中山(なかやま)』と呼ばれてきたが、音で『名香山(なかやま)』と漢字が書き換えられ、更にそれが音読みされて『みょうこうさん』になったというのが通説だ。
だが、室町時代の文献にはすでに『妙高山』という名称で記録されているのに、江戸時代に『中山』と呼ばれていたのだから、通説は矛盾している。

フール
 

忉利天まで8万4千ヨージャナと言われているんだよ

ウィルさん
ウィルさん

8万4千ヨージャナ?何ジャナそれ?

フール
 

8万4千という数字は、たっくさんっていう意味の仏教用語だから数に意味はないけどね、問題は『ヨージャナ』だよ。これはね、『頸木(くびき)につなぐ』という意味なんだ。

ウィルさん
ウィルさん

頸木につなぐヨ~。ジャナ?ところで頸木って牛とか罪人につなぐ『(かせ)』のことじゃないですか。

フール
 

おねえさんは、面白い。

ウィルさん
ウィルさん

・・・そうですか?おにいさんは、意味不明ですけど。

フール
 

『くびき』の意味を知っていて、そういう地名の謎を考えたことない?

おにいさんかおねえさんかよくわらないけど、とりあえずおにいさんというのを否定しなかったから、やっぱ男の子だな?

と、思いながらウィルさんはヨタ話につき合った。

ウィルさん
ウィルさん

そう言われればこの地名、おにいさんより謎っぽい感じがしてきましたよ。

フール
 

普通は、頸木につながれた牛が1日に移動できる距離が1ヨージャナって解釈で、つまり『ヨージャナ』は物理的な距離を示す単位なんだけど、本来の意味で概念的に考えると、頂上にある忉利天まで須弥山には『頸木』につながれてる何者かがいっぱいいる、って意味にとれないかい?

ウィルさん
ウィルさん

つまり大勢の誰かが『くびき』に『頸木』でつながれているっていうことですか?なんとも、おそろしいダジャレですね。それじゃぁ、忉利天を頂く須弥山というのは牢獄のことですか?それとも牛小屋?いったい誰が頸木につながれているというのです?

フール
 

別に牢獄ってわけじゃないと思うし、牛みたいに労働を強いられているってことではないと思うけど、自由は奪われていると思うんだ。『頸木』っていうのは観念的な比喩だね。そんな観念的な世界の中に閉じ込められるのは、神さまたちってことじゃないかい?その世界に通じる道を、ダジャレじゃなくてね、キーワードとして『くびき』が暗示しているんだよ。

ウィルさん
ウィルさん

ダジャレじゃなくてそれは暗示のキーワード?それにしても、なぜに神さまたちが閉じ込められなくてはならないのです?

フール
 

だってほら、彼らは不死なのに、どんどん増えていくでしょう?だから地上に収まりきらなくなって、それで別世界に隠されてしまったんだよ。

ウィルさん
ウィルさん

ちょっと待って。ということは神さまは昔、地上で繁殖していたっていう意味なの?確かに神話の神さまたちはどれも人間くさすぎるけど。

フール
 

そうだよ、物理的な肉体を持っていた。

ウィルさん
ウィルさん

だとして、いったい誰が神さまたちを観念上の世界に隠したというのです?

フール
 

それだよ。誰がなぜそんなことをしたのか、彼らが今どうなっているのか、確かめたいんだ。西の数多(あまた)の神さま、つまり『天使』たちは梯子(ラダー)を使って行き来できるのに、東の神さまたちは精霊なる観念の世界に閉じ込められてしまった。

ウィルさん
ウィルさん

西の神さまと東の神さま?何か、オズの魔法使いみたいな展開ですね。北の魔女さまは登場しないので?

フール
 

北の魔女・・・それはおねえさんだね。おでこにチューしてくれる?

ウィルさん
ウィルさん

何ということを・・・

ウィルさんは顔が少し赤くなってしまった。

フール
 

あはは。日本の人はシャイだね。冗談ですよ。ところで、『くびき』とキーワードされるこの場所に忉利天に至る聖地の名前を持つ山があるって偶然とは思えないでしょう?『ここ』が世界のはじっこに追いやられた神さまのいる世界につながれているのはまちがいないはずだよ。

ウィルさん
ウィルさん

でも、その名前だけの推測じゃ、説得力ないですよね。

フール
 

神さまたちは、造山エネルギーを吸収しているはずなんだ。

ウィルさん
ウィルさん

何ですか?それ

フール
 

空には気流があり、海には海流があるように、大地にも地流があるんだよね。地流つまりプレートの移動エネルギーが集結する場所に山が生まれる。造山活動のある場所というのは地球内部のエネルギーが集まってくる場所で、こういうエネルギーの(ひず)むところに聖地があるってことだよ。

ウィルさん
ウィルさん

確かに日本はプレート活動旺盛な地震の国ですけど、それが聖地の条件ですか?

フール
 

神々の聖地は、コーカサスからヒマラヤへと造山帯を東に向かって遷ってきたんだ。次に考えられるのは、太平洋の火山系造山帯だよ。海溝からみれば、この日本の山はヒマラヤの天辺(てっぺん)みたいなものだけど、海溝をつくるプレートのもぐり込みは、とてつもない火山エネルギーをつくって地球内部のエネルギーを放出してくるんだ。

ウィルさん
ウィルさん

そうだとして、富士山とか日本アルプスとか立派な山が他にいっぱいあるのに、こんな地味なはじっこ火山が何で聖地の名前に?

フール
 

それには、歴史的な事情もからんでくるんだ。日本神話の謎を解くと、見えてくると思うよ。日本神話は神々の対立の最終結末を描いているみたいだからね。対決の後、ローマから唯一の神が世界に向けて発動したんだ。

ウィルさん
ウィルさん

そういえば西の牡牛神と東の龍神対決は小説で読んだ気がする・・・ああ、それが日本の地祇(くにつかみ)天神(あまつかみ)の対決ってこと?・・・って、ところで、あなた何者です?その歳で何てだいそれたことを考えてるのかしら?

フール
 

僕?

自分のことを「僕」と呼んだ?ああ、やっぱり男の子だったのか!

と、ウィルさんは思ったはずだ。他方で

こんな妄想話につきあっててよいのかしら?

とも思ったかもしれない。それでも、平和な午後のひとときの退屈しのぎとしては面白すぎる。

フール
 

僕は、みんなから『Fool(フール)』と呼ばれていたよ。この国の言葉だと『愚者』だよね。いつもがけっぷちを陽気に歩いているみたいだって。

ウィルさん
ウィルさん

フールというのはわかる気がするけれど、それはタロットイメージなあだ名でしょう?

フール
 

あだ名が僕の名前になっちゃったみたいだね・・・あぁそういえば、黄金の夜明け団にはかわいがってもらったよ。あの何だっけ・・・ウェイト?いや、描いたのはスミス女史だった。タロットに意味付けするようなオカルト組織はたいてい女性を差別してたけど、夜明け団には男女平等の思想があってスミス女史は優遇されていたみたいだね。タロット絵の報酬は安かったみたいだけど、今の時代なら印税ガッポリだよ。そうそう、タロットカードのナンバー1は僕がモデルだよ。僕は彼女のお気に入りだったみたいだし。

ウィルさん
ウィルさん

あなた何歳です?まだ未成年でしょう?そんな大昔のネタでからかわないでくださいよ。まさかあの風呂敷かついでワンコと旅していた『フール』だって、信じるわけがないじゃないですか。

スミス女史の描いたタロットなフールくん
フール
フール

それより前は、プラトン先生が永遠回帰のΦ(ファイ)って名付けてくれたんだ。

ウィルさん
ウィルさん

プラトン・・・って、それは紀元前の話でしょう?バカげてますよ。

フール
フール

僕はね、永遠の幼生なんだ。18歳になる直前に0歳に戻ってしまう。18年の成長を繰り返しながら延々生き続けてきたんだ。これが僕にとっての『くびき』だね。実は、この呪いを解くために、須弥山の天辺にいる帝釈天つまりインドラ神に合わなくちゃなんないんだよ。協力してよ、おねえさん。

冗談としか思えないネタを、大真面目でかます相手にウィルさんは、すっかり混乱してしまっていた。

ウィルさん
ウィルさん

そう言われても、私には何もできないですよ。

フール
フール

父が言うには、この場所に入り口があるらしいんだ。おねえさんがいるこの場所は、イズモレイラインの結界上にあるのは確かだし、あとは結界を開く護摩(ごま)札があればいいはずなんだ。

ウィルさん
ウィルさん

お父さまはどこにいらっしゃるの?

おかしな話ばかりする訪問者にあきれてウィルさんは、こんな面白過ぎる妄想話をする少年のお父さんに、その妄想の原因を聞いてみたくなったようだ。心の病気なら、治療に協力してあげたいと思ったのかもしれない。

フール
フール

ここにいるよ

そう言って自称フールくんは自分の首元を指さした。そこには紐に吊るされた石玉があるだけだった。

ウィルさん
ウィルさん

その石玉がお父さん?

すると、その石玉が返事をするかのように光り始めたので、ウィルさんは

ウィルさん
ウィルさん

びっくり!

と言って、飛びのいた。

その時、この編集室が発行しているフリーペーパーの束が、机から床に落ちてしまった。

落ちた冊子を拾い上げながらフールくんは、

フール
フール

ちょっとまってくれ。ここにあるじゃないか。

ウィルさん
ウィルさん

え?

フール
フール

これだよ。これが須弥山に入る護摩札だよ。これが風輪、水輪、この上が金輪で、水輪との境目が金輪際。この上に忉利天がある。そしてさらにここが天で九曜たちがいる。何だやっぱり入り口はここにあったんだ。

フール
フール

お願い、呪文を言っておねえさん。

ウィルさん
ウィルさん

え?

フール
フール

『開け護摩』と言ってよ。

ウィルさん
ウィルさん

ひ・・・ひらけゴマ

すると、自称フールくんはその場から消えていった。

つづく

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