今回のWiLLのテーマは自由です。
自由というのは、私たち人類の永遠のテーマでもあるような気が致します。
言論の自由、行動の自由、思想の自由等、色々な自由があります。
しかし往々にして、それは一方通行での権利の主張により、もう一つの自由が弾圧されてる場合があるのではないかと、最近特に感じます。

身近な生活の中でも、集団が作る同調圧力があったり、発言力が強かったり、
声の大きい人がいたりすると、ついついその圧力に負けて、
心の自由も奪われてしまいがちです。

それは日常生活で頻繁に起こると争いになります。
争いの根底には利害関係や金銭の問題、憎悪や好き嫌いの感情があります。

そしてさらに厄介なのが宗教観や思想の違いです。
人生観の違いも出てきます。
これらにおいて全くの個人レベルの話でも、自分に都合の悪いこと、
意にそぐわないことを言われると、ついつい否定しがちになってしまいます。

しかし逆の立場で言えば、自分自身もその様な圧力をかけたり、
相手の気持ちを無視して、従わせようとしている部分があるかもしれません。
大抵の場合、意識しないでやっているのではないでしょうか。

果たして自分自身は、相手の自主性を尊重しているのか、
こちらの都合で振り回してはいないか、話は最後まで聞いているのか。
考え方が違うと言うことだけで、全面的に相手を否定していないか。

それらの事象に対して、静かな心で過去の様々な場面を振り返り、
心の点検をしてみることは大切な事です。

そして実際、日常の場面では相手が何かを言ってきた時には、
それを頭から否定するのではなく、まずは静かに相手の話を聞いてあげましょう。
相手の話を受け入れることは、思いやりです。
包容力でもあります。

それは心の器が大きくならないと、なかなか出来ないことです。
日常の様々な場面でも、自由というのは一方通行の権利ではなく、常に双方通行でなくてはなりません。
そして相手から何か嫌なことを言われても、それを頭ごなしに拒否するのではなく、
まずは静かに相手の言い分を聞く包容力が必要です。

それは心の器にも影響してくるのです。
心の器が小さければ小さいほど、相手の言うことを聞きません。
その姿勢では人としての心が、成長することができないのです。

数学の世界には、二つの円が重なる「交わり」というものがあります。
二つの円の真ん中に出来る交わりの部分が大きければ大きいほど、人は共鳴し合い、心を通わせることができます。

しかし問題は、その交わらない残りの部分です。
これが大きければ大きいほど、人々の心は乖離してしまいます。
一先ず心のゆとりを持って見ることができるのでしたら、その「交わらない部分」=「自分とは違う部分」に対してのものの見方も変わってくるかもしれません。

それはその人の育った環境、今置かれてる人間関係や生活環境といった様々な積み重ねが、お互いに違う部分を作り出しているわけです。
良い部分でもあり、悪い部分でもあることがあります。

交わらない部分を、その時には理解できなくても、
同じような立場になった時や人生の積み重ねの中において、あの時は相手の言ってることが理解できなかったとしても、
今になったら相手の気持ちが理解出来る、というようなことも経験によって得られることもあるわけです。

そのことも踏まえて、その時は理解できないようなことを言われても、それはそれでいったん心の中に受け止める。
そして理解できる時が来たら、相手の気持ちを分かってあげる。
それが結果的に相手の心の自由を認めてあげることになると思います。

自由には相手を認めて、お互いに成長して心を穏やかに生きる自由もあれば、
相手を拒否し攻撃して、破壊的行為をする自由もあります。
これもよく考えながら自分自身の選択として、人として正しい生き方を選び、
心豊かにできる魂の成長を求めながら、生きてくことが大切なのではないかと思っております。

そのための大前提として、相手の存在を尊重することから始める。
そして相手も同じ天から降りてきた「尊い魂の存在である」というものの見方をする事が大事だと思います。


【波動エネルギーを 心身の健康と運勢に生かす】SE研究所  穂苅秀郎

http://selabo96.com

1957年松本市生まれ、長野市在住。幼少より目に見えない世界、不思議な世界に興味があり、やがて高橋信次氏の著書に出会い、あるべき人間の姿の真髄と、目に見えない世界を読み解く世界に触れて大きな衝撃を受ける。以来、心の正しさと、波動を高める探求を続ける中でダウジングによる波動測定、波動改善技術を確立し、2005年にSE研究所を設立、現在に至る。上越を始め長野、東京、全国各地で「心と波動の勉強会」を開講。また個人相談も行い、多くの人々を悩みの解決へと導く。穏やかで愛情溢れる波動測定、改善技術には定評がある。